VERSE1225 [買収され、売却するということ]

“企業としてのバリュエーションを高める”

その考え自体は正しいと思いますし、10年目ともなればそういった視点が必要ということも重々理解しています。経営や投資をやっている方ならよく聞く言葉ですね。バリュエーション、すなわち企業価値評価。
ただ、僕はそういった資本市場的な論理に全く興味がありませんしなんなら中指を立ててしまうわけです。なぜなら、その論理では測れないものにこそ”服の真理”があると思っているから。つまり売却などは僕にとって全く縁のない話なわけです。

組織化が進むほど属人性は削ぎ落とされ、誰が作っているかは見えなくなっていく。
それによって成立するビジネスがあるのも事実なんですけど、クリエイティブにおいては違うと思うんですよね。結果として残るものは結局どこまでいっても特定の人間の判断や美意識に依存していて。特にアパレルにおいてはその人物が退いた途端にバランスを崩してしまう例は山ほどあります。 極論そのケースしか見ない気がする。いくらシステムが構築されていていたとしてもです。

純度の低いクリエイティブ。 そこに選ばれる理由は残りにくい。
買収され売却するということは、そういうことなのかもしれません。

一方で、ワンオーナーのブランドってその逆にあって。すべてが個人に依存しており、非効率で再現性も低い。投資対象として見れば扱いづらさは極まりないでしょう。それでも価値が生まれるのは、生身の判断や人間らしい違和感、美意識がそのまま形になるから。それは組織では代替できない、それこそ数値化されない価値だと思うんです。以前のブログで書いた「中間層」の件もここに繋がってきます。

そして、その価値は着る人間によって完成する。誰が着るかによって意味が変わりはじめて成立するものだと考えています。 つまり属人性っていうのは最初作り手の側にあって、最終的な価値は着る側によって決定される。この両方があって初めて成り立つものです。

自分自身も拡大や企業評価を優先しようとした時期はあります。別にM&Aがどうこうとかではなくて。ですが、一つの会社として綺麗にそっちへ寄せるほどASKYYらしさは確実に薄れていったんですね。それは僕が未熟すぎるのもありますが。このブログでざまざまな葛藤を今まで綴ってきましたが、僕がやりかったのは会社会社してる会社じゃないんだって。効率ではなく意思。 偏りや違和感を削らずそのまま残す。

それに気づけたおかげで、今は更に高い純度を突き詰めるPHASE Ⅳにいます。 もちろんこれからも属人性のみで成立し続けるほど単純ではないことも理解しています。 それでも、これから先に残っていくのはそこだと思っています。

機能や価格で選ぶのであれば他にいくらでもありますし、それで満たされるならそれでいい。 ただ、なぜそれを着るのかを問うのであれば量産されたものには戻れないはずです。ASKYYはきっとそのためにこの地球に存在している。誰にも売らずに守り抜く。

今週の企画は、そんな思想を形にした販売形式。詳細は扉を閉じた空間(LINE)でのみ公開します。冷やかしではなく、ブランドの歩みを共にしてくださる方だけお待ちしています。

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